だいぶ昔に書いた、BattleField3に見る自己表現としてのゲームプレイというスライドについて、最近、人に解説する機会があった。
このスライドを書いたのは2013年であり、いろいろと古くなってきているので、自分の今の考えも含めて、アップデートしつつ解説を行いたいと思う。
例によってこの記事はポエムです。
あと、SlideShare版もあります。https://www.slideshare.net/TokorotenNakayama/ss-79094829
インターネット上における情報発信手段の変化
私はインターネット上の情報発信の手段の変遷として、次のような大きな区分があると考えている。
・Web1.0
・Blog
・SNS
・Twitter
・Tumblr、RT
・Instagram
・SnapChat
・SNOW
・ゲーム配信
Web1.0の時代
90年代末から2000年くらいがWeb1.0の時代だと考えている。このころはWeb日記という形で、各自がHTMLを手で書いており、それをFTPでサーバに上げるということをしていた。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・正しい文章を書けること
・HTMLを手で書けること
・FTPでサーバにアップロードできること
技術的なハードルが高く、この時代において情報発信が行えていた人はごく少数であった。体感として、当時のネット人口に対して5%未満といったところだ思う(要出典)。
Blogの時代
2002年ごろからBlogが登場し始めた。Blogの登場により、記事を書くことに対して、HTMLの知識や、ウェブサーバに関する知識が不要になり、技術的ハードルが緩和され、技術に疎い人でも情報発信を行うことが可能になった。
また、BlogはWeb Logが省略された単語であり、Web上の他の記事を引用することが多く、完全にオリジナルのコンテンツを発信する必要がない、というのも特徴であった。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・他者のコンテンツを借りたうえで、正しい文章をかけること
それでもBlogを書いていたのは、体感としては当時のネット人口に対して10%未満だったと思う。
インターネット白書2004では、ブログの利用率は2.5%となっている。http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2004/iwp2004-ch02-06-p134.pdf
SNSの時代
2004年ごろからSNSが勃興してきた。歴史を調べてみると、myspaceが2003年、mixiとfacebookが2004年であったらしい。
SNSにより、オープンなインターネット空間から、知り合いだけが集まった空間に変化することで、情報発信の内容が、論評から身内に向けた日記へと変化した。
これにより、文章の正確性というものは必ずしも必須ではなくなり、日記レベルの平易な文章であればよくなった。これにより、言語能力による情報発信のハードルが大幅に緩和された。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・日記レベルの文章を書く能力
とはいえ、このころであっても、ネット人口に対して20%程度しか、SNS上で情報発信を行っていなかったように思う。
インターネット白書2006ではSNS参加率11.0%なので、大よそ感覚値としては正しそうだ。
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2006/iwp2006-ch02-02-p079.pdf
またこのころになると、ブログの利用率は25%まで上昇している。
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2006/iwp2006-ch02-02-p083.pdf
SNSは2012年には45%程度まで上昇している。
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2012/iwp2012-ch01-03-p046.pdf
Twitterの時代
Twitterは2006年サービス開始で、2007年頃から流行り始めたと記憶している。
Twitterは140文字という制約から必ずしも正しい文章を書く必要がないという共通認識の元に皆が利用している。
また、自分が今どういう気分であるのか、自分の身の回りに何が起こっているのか、自分が今何をしているのか、といった簡単なことを書けば良いというサービスである。そのため、ブログやSNSのような長文を要求されることなく、多くの人が文章を書くことができた。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・周囲の状況レポートや、自分の感情等の短文を書く能力
インターネット白書2010ではTwitterの利用率は9.7%
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2010/iwp2010-ch07-03-p198.pdf
インターネット白書2012では26.3%
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp2012/iwp2012-ch01-03-p046.pdf
余談:インターネット白書は2013年以降は各種の統計がなくなってしまっているので、この手の変化を追いかけるのに使えなくて勿体ないなぁ。
Tumblr,ReTweetの時代
TumblrもTwitterと同時期の2007年にサービスを開始した。
ReTweetがTwitterに導入されたのは、2009年の年末から、2010年の年始にかけてだったようだ(Wikipedia調べ)。非公式RT、QTなどはその少し前から流行っていたと記憶している。
この時代になってくると、情報発信は必ずしも自身がコンテンツを作らなくてもよくなってくる。人のコンテンツを借りてくることが、情報発信であり、これにより自分のアイデンティティを形成するという時代になる。FBのLikeやShareもここに含まれてくる。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・人の書いた文章を読み込め、自分にとっての良し悪しを判断できること
また同時期にPinterestも生まれている。Pintarestは画像版のTumblrといった感じで、より言語能力に依存しないサービスとなっている。
Instagramの時代
2010年ごろになってくると、Instagramが登場してくる。
TwitpicによるTwitterへの画像投稿は2008年から、Twitter自体の画像投稿へのサポートは2011年からである。
当時のスマホのカメラ性能はイマイチで、Instagramの最初期は、高品質なフィルターにより、誰でもそれっぽい写真が取れる、というのが特徴で利用されていたと記憶している。
その後SNS機能が強化され、FBに買収されたという流れだったと思う。
Instagramによって誰でも簡単にそれっぽい写真が取れるようになったことで、自己表現を行うのに文章を書く必要がなくなった。これにより、文章能力がそれほど高くない人でも情報発信が行えるようになった。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・スマホで写真撮影ができること
・写真映えするコンテンツを探し出せること
Snapchatの時代
2012年ごろにはSnapchatが登場してくる。(同時期にはVineなど)
Snapchatは受信した写真や動画が一定時間で消えることが特徴のSNSである。Instagramは写真を「公開」するサービスであったが、Snapchatは写真や動画を「送る」サービスである。ここの微妙な差が両者のサービスを全く異なるものにした。
Snapchatはパブリックに公開するような質の高いコンテンツが要求されず、身内向けのバカバカしい写真を、記録に残らない形で、安全に交換できることが特徴である。そのため、自己がコンテンツの対象であることが多い。必ずしも写真映えするコンテンツを外部に保有している必要が無く、身内向けに面白いものを持っていればよいのである。
つまり、blogからSNSへの変化と同様のことが、InstagramからSnapChatでも発生したのだ。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・スマホで撮影ができること
・身内受けするコンテンツを保有していること
SNOWの時代
2016年にはSNOWが流行した。
Instagramは自分の外側に面白いコンテンツを保有している必要がある。(故に、それを持たない人はスタバに行ったり、旅行に行ったりする)
Snapchatは自分の内側に面白いコンテンツを保有している必要がある。
では、自分の内側にも外側にも面白いコンテンツを保有しない人は、どうしたらいいのだろうか?その答えがSNOWだったのだと思う。
自分の顔を盛る、顔を加工することで、自分自身をコンテンツに変換できるサービスというのがSNOWだった。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・スマホで自撮りできること
ゲーム配信の時代
順番は前後するが、2011年にはBattleField3と、BattleLogの登場により、ゲームとSNSの融合を果たした(ゲームとSNSの融合という点では、gumonji 2006年版があったが割愛)。
BattleLogではBF3(その後、BF4、BF HL、BF1に対応)の戦績を公開することができ、その戦績に対してLikeを付けることができ、言語に依存しないコミュニケーションができるという点で画期的であった。
ゲームのリプレイ共有やトロフィー共有は2008年ごろから少しずつ広がってきており、初期はYouTubeへの動画アップロード、OriginとTwitchの連携を経て、PS4のShareボタンやゲーム配信機能(Twitch、ニコ生、YouTube Live)へとつながっていった。
モバイルでは、HirobaやLobiなどが、モバイルゲームのSNS化を促進している。加えて、ガチャを搭載したゲームでは、高レアを引いたスクリーンショットや動画は、(金さえ詰めば)誰でも英雄になれるので、ガチャとSNSは極めて相性が良い。
ゲームの戦績の公開や配信は、言語依存性が低く、消費活動とコンテンツ生成活動が一体化している。これにより多くの人が、ゲームプレイによって自らコンテンツを生成することで、情報発信が行えるようになった。
この時代において、情報発信を行うためには次の能力が必要である
・ゲームをプレイし、コンテンツを生成すること
加えて、PUBG等のオンライン配信することを前提として最適化されたゲームも登場してきており、「コンテンツ生成装置としてのゲーム」は今も進歩し続けている。
情報発信手段の変化トレンド
さて、これまでの変遷をざっと俯瞰してみると、情報発信ハードルの低下の流れが見えてくる。
・技術的ハードルの緩和
HTML、FTP、ファイルアップロード、タグ、リンクetc...
PC→スマホ→ゲーム機
・言語能力的ハードルの緩和
正しい文章→引用言及→日記→短文→写真→ゲーム?
・コンテンツ的ハードルの緩和
自己の意見→引用言及→日記→周囲のこと→引用→コンテンツの生成(Snow、ゲーム配信)
各種情報発信のハードルの低下が、情報発信者の増加を引き起こした。
当時のスライドでは、この流れの次にゲーム配信やゲームとSNSの融合があるだろう、と語っている。
2017年現在、この流れは一定正しいものの、ゲームによる情報発信は主流とは言い難い。
ではこの次に何が来るのだろう?
受動的情報発信、消費と情報発信の一体化
トレンドとして「情報発信ハードルの低下」の行きつく先は、言語的ハードルの更なる緩和と、消費と情報発信の一体化だろうと予想する。
これを満たすものとして、私は二つのコンテンツフォーマットを考えている。VRによる空間同期と、ライフログの自動コンテンツ化である。
VRによる空間同期
VRにより身振りや手ぶりが伝達可能になると、身振りや手ぶり、雰囲気といった、ノンバーバルな非言語コミュニケーションが可能になる。
これにより、言語能力がそれほど高くなくても、オンライン上でコミュニケーションを行うことが可能になる。
加えて、VRオンライン上で映画等を共同視聴することにより、自らが発信可能なコンテンツを持っていなくとも、情報発信が可能になる。
映画の視聴という情報消費と、隣に座って身振り手振りを共有という情報発信を実現することができる。これにより情報消費と情報発信の一体化が実現することができる。VRChatや、AltspaceVR、 clusterがそれを実現するソフトウェアの先駆けとなる。
想像がつかない人は、VR傷物語をプレイしている動画を見てみるといい。これは一人用だが、隣にいる忍が実際のプレーヤーとなる。
ライフログの自動コンテンツ化
もう一つはライフログの自動コンテンツ化である。
スマホデバイスの発達により、現在のスマホは様々な情報を自動で得ることが可能になった。
しかし、その情報が適切に他人が需要可能なコンテンツに変換されているとは言い難い。従来ライフログは、他人が受容可能なコンテンツに変換する、という視点を欠いていたために、あまり流行らなかったと考えている。
自分が見返すためのものではなく、自動的に情報発信を行うためのライフログが求められている。例えば自分が閲覧したウェブページが自動で公開されるサービスや、自分が視聴した動画が自動で公開されるサービスなどが考えられる。
まとめ
情報発信手段の簡易化のトレンドが存在する。
情報発信手段の簡易化は大きく分けて三つからなる。
・技術的ハードルの解消
・言語能力的ハードルの解消
・コンテンツ的ハードルの解消
この次に来るのは、おそらく「コンテンツの消費と情報発信の一体化」であろう。その候補として、以下の二つが考えられる。
・VRによる空間同期
・ライフログの自動コンテンツ化