世代間のコミュニケーションの違い、の補足

ところてん
13 min readJun 10, 2019

こんにちは、友人から「おまえは心理的安全性の対極にいる存在だろ」と言われたところてんです。

先日は自社サービスの説明がてらに、こんなプレゼンをさせていただきました。

私自身が心理的安全性を得られるように動けているか、というのは大変怪しいですが、とはいえ、開発中のVeinは心理的安全性をどうやって実現するのか、というところを考えながら作っているので、そこらへんについてお話させていただく機会がたびたびあります。

まぁ、マックス・ヴェーバーっておっちゃんが言ってた「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」ってやつですよ、知らんけど。

で、そういう怪文章を公開していたら、「リモートワークにおける心理的安全性について語ってくれ」ということで取材された記事が公開されました。

リモートワークが嫌で、客先に訪問して仕事をするようにしている自分にそれを聞かれてもなぁと思いつつ、今考えてることを適当に話したら、なんかいい感じの記事にまとめていただいて「キレイなところてん」というよくわからない評価をいただいております。

さて、この記事では次のような一文が傍証なしに唐突に出てきて面食らった人もいるかもしれません。

あまり世代間論争にはしたくないのですが、40代以上の世代には「コミュニケーション=利害調整」と捉える人が多いですね。情報の流れをコントロールして、組織を円滑に回そうとする。その結果、意図的に情報を隠したり、情報格差をつくったりします。つまりコミュニケーションは人心掌握、説得、コントロールの術であって、正しい情報を伝えることがゴールではないのです。

「俺は40代だけど、コミュニケーションは問題解決だと思っているぞ」なんて意見もありました。

そういうわけで、今回は世代間のコミュニケーションに対する認識の違いについて、インタビューで話しそこねた話をつらつらと書いてみようと思います。

1998年を考える、統計編

40代とはどういう体験をしてきた世代なのか、これを考えるためには、彼らが大学生だった20年前を考えてみよう。つまりは1998年頃だ。

ここでは各種統計情報をまとめているガベージニュースから、PCの普及率や、インターネット利用率を引用する。

ガベージニュースより引用

1998年はPCの普及率は25%(家庭における保有率なので、理系の大学生でもない限り一人暮らしではさらに下がるだろう)、インターネットの利用率は13.4%だ。

そして、ぶっちゃけて言うと、これが今回の記事のすべてだ。このグラフで納得した人は、あーなるほど、と思って、あとは読み流してもらえればいい。

1998年前後のPC環境

この頃のPC環境としては、1998年にWindows98がリリースされた。IE4.0がOSに同梱されたことで、PCを買ってきて電話線をモデムにつなぐだけでインターネットができるという時代になった。

このWindows98がトリガーになり、マニアのためのPCから、娯楽のためのPCの側面が強くなり、PCが一般に普及していくことになる。

このほかにも、Appleに復帰したジョブズが作ったiMac G3が1998年、電話回線で常時接続高速インターネットが出来るADSL回線が2001年、PCの値下りが行きつくところまでいって、牛丼パソコンなどが生まれたのが2002年である。

https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/20020629/price.html#map1

1998年から2002年へ、ブログの登場

PCの廉価化と、常時接続高速回線により、インターネットの世界は様変わりした。

1998年のコミュニケーションというのは、対面か電話、メールが中心で、1対1のものである。この時代は不特定多数にむけた文章を書くというのは、あまり一般化していなかった。そして1対1のメッセージというのは相手に対する強い意志を持ったものであり、人に対する働きかけであった。

一方そのころ、1999年にはBloggerが創業し、日本国内では2002年ごろよりブログブームが訪れる。tDiaryが2002年、はてなダイアリーが2003年だ。そして前述のようにADSLは2001年からだ。2chも1999年に作られ、2000年のネオむぎ茶事件で一躍有名になった。

つまり、2002年くらいを境にPCや常時接続インターネットが普及し、ブログの普及とともに、受け取り手を想定しない一対多を想定したコミュニケーションが新たに行えるようになったのだ。

それも、誰かに対して働きかけを行うためのメッセージなのではなく、特に誰かに伝えたいわけでもない、読者を想定しない「私はこう考えている」が発信されるようになったのだ。

ちなみに、この件について、西尾さんと雑談したときの内容が以下だ。私よりもうまいことまとめてくれているので、このポエムと合わせて読んでもらえるとうれしい。

メンタルモデルの固定化

この2002年前後のコミュニケーションの変化を、就職前に体験出来ているかどうかで、その後のコミュニケーションに対する考え方が大きく変わるのではないかと考えている。

なぜなら大学生はいずれ就職し、社会人になる。するとそこで会社が常識となり、いつしかメンタルモデルのアップデートが止まってしまう。

その結果、PCの一般普及以前に就職した人は「PCとは会社で使うもの」となってしまっていることが多くなるだろう。
一方でそれ以後で就職した人は「PCとは個人が趣味で使うもの」と認識している人が多くなるだろう。

そして、仕事としてPCを使うか、趣味としてPCを使うかで、受け取り手を想定しない不特定多数に向けた情報発信を行うか否かの差が生まれてくる。

これが、40代以上には「コミュニケーションとは人に対する働きかけである」という傾向があることの遠因であると私は考えている。

社会的2000年問題は割といいフレーズだなと思った。

メンタルモデルのギャップの実例

以下は電話会社の研究所で私が社内SNSでヤンチャをしていた頃に起きた出来事だ。「メッセージとは人に対する働きかけであり、働きかけがないメッセージはあり得ない」と考える偉い人と、「俺はこう思う、誰が読むかは分からんが発信することには価値がある」という若手がコンフリクトした事例だ。

https://www.slideshare.net/TokorotenNakayama/227p-for-publish-11115883/14

前述のようにブログの登場前後により、人々のメンタルモデルは世代間で大きく二つに分かれた。

  • コミュニケーション = 人への働きかけ
  • コミュニケーション = 情報交換、開示

そして、世代間のコミュニケーションに対するメンタルモデルのギャップは、社内チャット上の「タバコ部屋の雑談」を「社長がいる会議室での報告」に変えてしまうのである。

なぜなら、好き勝手に情報を垂れ流している若手の上司からしてみると「他部署に迷惑をかけたら、俺の管理能力不足が疑われてしまう、指導なくては」となるからだ。そして若手は指導され、指導の結果「タバコ部屋」は「会議室」になってしまう。

以下は私の実体験だ。若手が勝手に運営していた社内SNSが、いつしかオフィシャルとなり、人が増えるにつれて「タバコ部屋」が「会議室」になってしまった例である。時間とともに変わっていく様子が統計データに表れているので、大変面白い。

https://www.slideshare.net/TokorotenNakayama/227p-for-publish-11115883/26
https://www.slideshare.net/TokorotenNakayama/227p-for-publish-11115883/29

そして、人々は「社長のいる会議室」から逃げ出して、新たな「タバコ部屋」を作るのである。SkypeとかSlackとかLineでさ。

余談だけど、このメンタルモデルの問題を理解し、社内コミュニケーションの質を変化させることが、情報漏えいに対する防衛として機能するんじゃないかなー。しらんけど。

まとめ

  • かつては一般人がもつメッセージ送信の手段は、対面か電話、手紙、電子メールなどの一対一のメディアしか存在しなかった。
  • 現在の40代が大学生の頃(1998年以前)はPCやインターネットが一般普及していなかった。
  • 2000年ごろからインターネット接続の低コスト化、PCの廉価化が加速し、一般人がPCを当たり前に持つようになった。
  • 2002年ごろにブログが普及してきて、一般人による不特定多数に対する受け取り手を想定しない文章による情報発信が一般化した。
  • 就職に伴い「常識」が変わりづらくなるため、2000年頃から続くコミュニケーションの変化を学生時代に体験できたかどうかで、その人のコミュニケーションに対するメンタルモデルが大きく変わる。
  • そのため、コミュニケーションに対するメンタルモデルの境目が、40代以上と30代以下の間にありそう。

もちろん、これは「ところてんが実体験を通じて『こういう傾向がある』と考えている」という話です。要するに仮説であり偏見です。

仮に仮説が正しいとしても、あくまでも「世代間の傾向」であり、特定の個人のコミュニケーションが利害調整である、と主張しているわけではありません。

加えて「コミュニケーション = 人への働きかけ」「コミュニケーション = 情報交換、開示」というのは二項対立ではなく、個人の中でも両立し、その比率が人によって異なるものです。ですので、どちらが正しい、どちらが間違っているという話ではありません。人によって比率が異なるし、その異なり具合が世代によって傾向がありそうだよね、という主張です。

で、こういう仮説をもって社会調査してみたいんですが、どうするのがいいでしょうか。一緒にやろうぜ、って大学の先生いませんかね?

宣伝

2019/07/02にデブサミで何か話します。例によって心理的安全性とは何かみたいな話をする予定ですが、何を話すかはあんまり決まってません。

心理的安全性を、「存在承認」とか、「トランザクティブメモリー」、「SECIモデル」みたいな話と繋げてみようかなーと考えています。

--

--